【夏休み企画】真田街道を辿ってみた(パート1)

群馬県名所

mこんにちは、こしゃるです。

今回は、夏休み企画!第一弾として、沼田市に始まり上田市へ至る「真田街道」を巡ってみたので報告したいと思います。

ことの発端は前回、たんばらラベンダーパークを訪れたついでに沼田城に寄ったことでした。私の実家は長野県東御市で上田市のすぐそば。高校は真田家の屋敷跡に建てられた上田高校だったので真田家との関係は当たらずとも遠からず?実家に帰るついでに沼田城から上田城に至る真田街道を(逆向きに)辿ってみようと考えたのでした。

ここで簡単に真田氏の歴史を振り返ってみましょう。真田氏は甲斐から信州に攻め入った武田信玄の家臣として、上田小県地域を治めていましたが真田幸隆やその長男昌幸の時代に上州北部を攻略し、勢力を伸ばしてゆきます。その間には北条氏との駆け引きや沼田氏との戦いなどがあり、真田街道には当時の歴史の痕跡が多く残されています。

そんな歴史ロマン溢れる真田街道の旅を2回に分けてお送りしようと思います。

それでは早速、上州真田の里、沼田城からスタートしましょう!

沼田城は昌幸の長男信之が1590年に城主となった後、5代91年に渡り真田家の居城となりました。沼田市の城下町を一望できる高台に造られており、現在も敷地からは沼田駅がよく見えました。天守をはじめ建物は江戸時代に取り壊され現在は鐘楼が再建され周囲は沼田公園として整えられています。

続いて名胡桃(なぐるみ)城に向かいます。

こちらも現在は城跡と堀の跡が残っているのみですが、歴史上とても重要な史跡として知られています。名胡桃城も真田昌幸が上州攻略の拠点とした場所でした。その後真田氏と北条氏の領地争いが続きましたが、豊臣秀吉により、利根川を境に東部一帯を北条領、西部一帯を真田領としました。しかしこの裁定を不服とした北条氏が名胡桃城を不法占拠しました。秀吉はこれに激怒し、北条氏に宣戦布告、小田原攻めが行われ北条氏は滅亡。この事件がきっかけとなり、秀吉の天下統一が達成されたのです。

そんな壮絶な歴史の舞台となった名城の跡も、今は穏やかな風が吹いており眼下にはみなかみ町の住宅地がよく見えました。

次は東吾妻町の岩櫃(岩櫃城)城を目指して岩櫃山を登ります。

岩櫃城は、高さ802mの切り立った岩山である岩櫃山の中腹東面に築かれた堅固な山城です。真田幸隆が攻略した後しばらくは真田氏の居城となり、孫である幸村や信之が過ごした城としても知られています。

それにしても山城というだけあって、急な登山道10分ほど歩いて息切れしながら辿り着きました。まさに難攻不落の拠点だったのでしょう。

前半はここまで!ここから国道145号をさらに西へ進み上田市へ向かいますが、この後の記事はパート2で。

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