献体と臓器提供について考えてみた!

外科医の独り言

皆さんこんにちは、こしゃるです。

2024年も残り少なくなってきましたが、医療業界では残念なニュースが世間を騒がせています。

美容外科の女性医師が献体を使用した手術手技の研修会に参加した際の写真をインスタに投稿したことで、医療倫理に反するのではないかと炎上しているのです。なぜならその写真というが、献体を背景に笑顔でピースサインをしていたり、一部モザイクがかかっていなかったりしたからです。

このことについては、各方面から反論や擁護のコメントが多数寄せられており、私たちにとって医学教育における献体の意味を改めて考えさせられる事象になりました。

問題の写真は美容外科医師がグアムで献体を用いた研修をした時のものでした。

まずこの投稿に対する一般の方からの批判というのは、至極当然のことだと思います。医療の発展のために、献体された方やそのご遺族からすると、献体を背景にピースサインをすることやその画像をSNSに投稿することなど、貢献の意志を冒涜することに他ならず許されないことだと想像できます。投稿を見た方から「医師免許をはく奪すべきだ」「絶対献体しないことを決めた」などの意見が相次いでいます。

一般の方のコメントは批判的なものが多いよね。

一方で、女性医師の上司である東京美容外科の院長のコメントでは、今回の行動は倫理観を欠く軽率なものであったと謝罪しつつも、国外での献体の取り扱い(写真撮影などは許容範囲であるなど)は日本とはギャップがあること、また献体を用いた医学教育の大切さを訴えており、女性医師を一部擁護するような意図とも取れます。この謝罪は再炎上し、「解剖できる火を消さないためにはSNSにあげてしまうようなリテラシーを徹底的に見直せ!」なとと批判を呼んでいます。

さらに研修会の主催者であるインディアナ大学医学部のCSAC-IUの事務局長は、「日本ではフレッシュの献体を扱うことができないので、こうした海外での研修がある。解剖室で写真をとることはよくあります。我々が内部で共有する分にはご献体の顔などにぼかしは一切入れませんが、ぼかしが入っていたなら問題ないでしょう。・・・個人のSNS東京は我々事務局が規制することはできませんから、そこは各々の意志のモラルの問題になってくる。・・・レベルを上げるためにこう言った研修会があるわけで、それを他の意志に共有することはいいことでしょう。」と海外での認識として写真撮影は問題なく、SNS投稿については個人の裁量に任されるとの意見を述べています。

主催者や上司のコメントは違和感があるなあ。

日本美容外科学会も一連の報道に対して、コメントを発表しています。

この中で、この女性医師は学会員ではないものの、その行為は著しく倫理観を欠いたもので容認できるものではないと断じています。さらに美容外科を標榜する以上、社会的な責任を有しているため、医療発展ためにご遺体を解剖する際には無限の尊厳をもって扱われるべきと強調しており、学会内での啓発活動と管理体制の強化を訴えています。

学会までコメント出して大ごとになってきた感じですね。

ここまで騒動に対する各方面からのコメントを見てきましたが、ここからは献体や臓器提供の実態や個人の経験を踏まえて私の意見を述べさせてもらおうと思います。

まず、献体を用いての卒前の医学教育については全国の医学部で必修科目として行われています。この際に医学生は献体に対する尊厳や、遺体に対するに向き合い方を徹底的に指導されます。実習は黙とうで始まり解剖が終了した後には慰霊祭が行われ、敬意を欠いた言動は厳に禁止されます。一方で臨床医が献体を使用して研修を行う機会はとても少なく、今回のような「新鮮な」ご遺体を使用して研修を行うことは日本では基本的にはできません。一方アメリカなどでは、大学や企業が主催する今回のようなトレーニングが比較的多く、研究でも新鮮な遺体の一部を使用することができます。私も留学中に遺体の臓器を使用した体外灌流実験を行った経験があります。

アメリカでは献体を用いたトレーニングや研究は一般的です。

献体とは少し状況が異なりますが、脳死患者からの臓器移植の現場ではどうでしょうか。本人が生前に(または患者家族が死後に)臓器提供を承諾することでレシピエント患者への臓器移植が可能になります。数でいうと、日本は欧米各国に比べて大きく遅れていて日本は人工1億2000万人当たり年間100人程度の臓器提供がありますが、例えばアメリカは人工3億3200万人あたり年間1万4000人が臓器提供を行っています(出展「世界の臓器提供数」日本臓器移植ネットワーク)。

私は前職の病院やアメリカへの留学中に臓器移植に関わる仕事をしており、両国のドナー病院で臓器摘出をした経験があります。日本とアメリカの臓器摘出の過程は大きく異なっていて、一言でいうと「厳粛な日本」と「効率的なアメリカ」という感じです。日本での臓器摘出では、手術の数時間前からスーツ姿で病院に集合してミーティング、摘出臓器の最終検査を行います。摘出後の臓器を運搬する際もスーツに着替えて、臓器を入れたクーラーボックスは布をかけて、床に置くことは禁止されています。一貫してドナー患者や臓器に対する敬意を軽んじてはなりません。一方アメリカではスクラブのまま病院へ向かい、到着と同時に手術が始まり、クーラーボックスも車両のトランク(警察車両が多かったです。。。)へ入れて運搬していました。ドナーが匿名化される日本と違い、アメリカではドナー家族とレシピエント患者のパーティーがあり、みんなでドナー患者の思い出を語り合うのです。臓器を提供した側と、臓器をもらった側が対面して抱き合っている姿がとても印象的でした。

両国とも方法は異なりますがドナーに対するリスペクトがあります。

私は両国での経験を通してどちらかを批判するものでもないし、日本の状況を早急に改めようと考えるものでもありません。ただ、日本は献体や臓器提供という行為が一般的ではないせいで、これらが悪い意味で過剰に聖域化され、秘密化されているように思います。今回の美容外科医の方の写真が倫理観を欠いたものであることはアメリカ側の常識から考えても、批判されるべきことであることは間違いありません。ただそこには、美容外科医の方のバックグラウンド(美容外科医であること、研修の後で観光にいそしんでいたこと、SNSのコメントから献体への敬意が感じられなかったこと)があるからではないでしょうか。私はSNSなどの過剰な反応を目にして、献体や臓器提供の芽が摘まれてしまうことに危機感を感じます。実際にはあり得ませんが、あの写真が臓器を提供したドナー患者と、その前でピースしているレシピエント患者や移植外科医だったら一般の方の反応はどうだったでしょうか。究極的には遺体や臓器を提供した側と、それらを使用した側しか本当の意味で価値があるかどうかはわからないと思います。

私たちは、頭ごなしに批判する前に献体や臓器移植についてもっと知らないといけないと思うのです。新しい術式を試行するのに、献体を使用することは大変意味があるし、移植でないと助からない難病を抱えている患者が日本にもたくさんいます。ただ同時に我々医療従事者は、遺体や臓器を提供してくれるドナー患者、家族にもっと寄り添わないといけないし、その価値や気持ちを世間の方にもっと知ってもらう必要があります。私は、医療現場の必要性と一般の方の認識には大きなギャップがあると思うし、そのギャップを日本独自の倫理観に沿ってゆっくりと埋めていくことが大切だと思います。

今回の騒動を通して、献体や臓器提供というものに一般の方の注目が集まったのは良い機会だ多と思います。医学の発展や難病の治療のために人体の組織が必要な場面はたくさんあります。輸血もその一つです。家族(特にご子息、ご子女)の遺体を捧げるということには抵抗を感じるとは思いますが、こういう機会に献体や移植手術、病気のことについて家族と話せるといいと思います。ちなみに私は、運転免許の裏に臓器提供の意思を表明していますが、「親族優先提供」の希望も追加しています(出展「意思表示の方法」日本臓器移植ネットワーク)。

今回はまじめな話題でしたがいかがでしたか?ご意見やご感想があればコメント欄にお願いします。

それでは皆様、良いお年を~

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