みなさんこんにちは、こしゃるです。
【夏休み特別企画】真田街道の旅と題して、前回は沼田城から東吾妻町の岩櫃城まで真田家の歴史を振り返りながら史跡を巡ってきました。
今回はその後半です。歴史談義だけではお子様に敬遠されてしまうので?近くの観光名所も織り交ぜねがら紹介していきます。
というわけで後半は利根川水系のダムの一つ、八ッ場ダムからスタートです!
八ッ場ダムは吾妻川中流に建造されたダムで、吾妻渓谷のすぐ上流に位置しています。2020年から運用開始という新しいダムですが、計画されたのは1950年ごろだったそうです。自然環境や温泉街、地域住民との話し合いの末、完成に漕ぎつけた様子が資料館に展示されており興味深かったです。
このダム湖の底には、昔の地域住民の生活が眠っていると思うと感慨深いです。
エレベーターでダムの底に降り、下から見上げるとすごい迫力です。
ダムの下流には吾妻渓谷の景色が広がります。巨大な人工物と雄大な自然の対比が印象的でした。
続いて訪れたのは、高原野菜で有名な嬬恋村です。
嬬恋村はキャベツ畑以外にも、浅間高原や鬼押出し園、バラギ高原、温泉、スキー場などたくさんのスポットがあり別荘地としても発展しています。また妻恋(つまこい)にちなんだ観光地も人気があるそうです。
私も妻に「愛妻の丘」の写真を送りつけて自己満足に浸ることにします!
嬬恋を後にし、鳥居峠を越えるといよいよ長野県に入ります。上田市真田町はまさに真田家の所縁の地であり、本城跡、屋敷跡、真田氏歴史館などが整えられています。
真田家の屋敷は、上田城築城までの居館でしたが今は御屋敷公園として整備されています。
真田昌幸は上田城に移った際、お屋敷が荒廃することをおそれてわざわざ伊勢から歓請して、同地に皇大神社を建立しました。真田家の信心深さが窺えるエピソードです。
また真田氏歴史館には真田家の代々の史料とともに、「真田太平記」や「真田丸」の撮影時の資料なども展示されていました。
胡桃味のおはぎを食べて休憩した後、いよいよ上田城にむかいます!
真田昌幸は1583年から上田城の築城を開始し1585年から居城とします。その後徳川家による2度の上田合戦を耐えて、真田の名とともに難攻不落の名城として知られるようになります。関ヶ原の戦いで石田側についた昌幸と幸村は追放され、上田城は一旦廃城となります。
徳川側についた信之は上田領を任されますが、城から少し離れた地に屋敷を築き居館とします。その後上田藩を治めた仙石氏、松平氏もこれを藩邸として使用しており、これが今の上田高校の敷地となります。当時の門や堀もそのまま残っており、高校としてはなんとも威厳のある佇まいになっています。
一方の上田城は、仙石忠政氏が新領主として入城してから再建され、その後城主が松平氏に代わった後も明治維新に至るまで繁栄が続きました。
最後に、上田駅前に設置された真田幸村の像を拝んでこの旅もゴールになります。
お気付きの方もいると思いますが、上田市街地での写真は数年前の冬に家族で訪れた時のものです。おはぎを食べたあたりで夕方になってしまったので私は実家に帰ったのでした。
それにしても真田家は、僅かな間に実に広い範囲で戦をして領地を広げたものだと思います。しかも山岳地帯が多く、当時としては移動や居住も多くの苦労があったのではと考えてしまいます。さらにこの後も大坂夏の陣、冬の陣での活躍など物語は続いて行くのです。
夏休み企画として巡った「真田街道の旅」はどうだったでしょうか?これからも群馬の名所を紹介していきたいと思います。